誇る文豪 田山花袋

2019年7月11日お出かけ

from:スタッフ三浦

こんにちは群馬出身三浦です。
群馬県で幼少期を過ごした人に「ほ!」と投げかけると、即座に「誇る文豪 田山花袋!」と返って来ます。
ごめんなさい、いきなり嘘をついてすみません。
いやでももしかしたら100人に1人くらいは本当に返ってくるかもしれません。

田山花袋

『誇る文豪 田山花袋』とは、群馬県で育った人は必ず一度は手にする、上毛かるたの中の札の1つです。
群馬県出身者の小説家、田山花袋(たやま・かたい)を紹介する【ほ】の札なのです。

花袋の生まれは栃木県邑楽郡館林町。
少年時代に足利(栃木県)で丁稚奉公し、その後上京、そして一旦帰郷します。
日露戦争に従軍した後、東京都渋谷区で文筆活動を行い、死去までこの地で過ごします。
・・・って、群馬関係ないじゃないの!と言わないでください。
花袋が生まれた当時、館林町は栃木県でしたが、現在では越境合併により群馬県館林市となっています。
館林市には田山花袋記念文学館もあります。
カスッてます、群馬県にカスッてるので上毛かるたOKです!

田舎教師

そんな田山花袋は日露戦争が終わってから、いくつもの小説を書き上げます。
その中でも代表作と言えるものが、「田舎教師」という作品。
主人公「林清三」が埼玉県羽生市で、高等小学校の教師として生きる様を描いたものです。
この林清三なる人物には、実はモデルが存在していて、その人の名は「小林秀三」。
実際に羽生市で教師をしていた青年だそうで、肺結核にかかり21歳という若さで亡くなっています。
田山花袋は、その小林秀三の残した日記を元に実地調査を行い、5年後に「田舎教師」を出版しました。

埼玉県羽生市の建福寺には、小説のモデルとなった小林秀三の墓が、「田舎教師の墓」として残されています。

建福寺

建福寺は大きな本堂のある立派なお寺で、小林秀三が教師時代に下宿していたこともありました。
当時使われていた古い本堂は、今でも残されていて、下宿生活の雰囲気をうかがい知ることができます。

現在の本堂
旧本堂

突然伺ったにもかかわらず、旧本堂を開放し、中を見せていただくことができました。
ちょうど時間帯的にも空いていて、タイミングが良かったと思いました。
以下、旧本堂の中の写真です。

p.s.
建福寺のある埼玉県羽生市では、藍染め製品が作られています。
藍染めの剣道着素材で作られた小物が人気ですよ。

p.p.s.
青空文庫で「田舎教師」が読めますよ。